お産日記②「ホッケの夜」
今振り返ってもあの破水はなかなかのものだったと思う。
階段を登ってる間にもぽとぽとと水滴が落ちていくし、二階で濡れた服を着替えてる間、私は骨盤底筋をぐっと締めたが落ちていく水滴、いや羊水を止めることはできなかった。
ふと思い立って床に落ちた水滴を舐めてみた。
透明。匂いなし。ほんのりしょっぱい。
羊水ってもっとしょっぱいのかと思ってた。ほら、海水の濃度と一緒とか聞いたことなかったっけ?なんて思いながら「どんな味するのかと思って…」と言ったら、私を追いかけてきていたののこも釣られて舐める。
「少ししょっぱいよね?」「うん」と答える彼女。
夜用の生理用ナプキンをあたがったが、二階から一階におりる間にもうナプキンがぐしょぐしょに濡れてしまったので、再びトイレに籠もって動けなくなる。
「ののこー!バスタオル!あと携帯!!」
こんな時に助手は女子に限る。瞬時に両方持ってきてくれた。
そして助産師さんへ電話。前回のストーリーへ繋がっていく。
と、いうことで私は今、家族でテーブルを囲んで夜ご飯を食べている。
股に力を入れながら。
15分も食べただろうか。10分くらいだったかもしれない。
もう行こう!となり荷物をまとめるがここらへんの記憶は無い。
移動は内股歩幅10cm。
股下にバスタオル。羊水をもらさないがミッションの39歳。
必死なんだか間抜けな姿に笑ってたんだかもう覚えてない。たぶん両方だった。
19:30 車で助産院に到着。確認してもらうとやっぱり破水。
ののこは急に冷静になったのか、お腹がすいたとおにぎりをバクバク食べる。
私が荷造りしてる間に、夫は余ったご飯をおにぎりにしていたらしい。ファインプレーである。
陣痛はまだ来ない。
これから来るかもしれないからと助産院に泊まらせてもらうことにする。
宿泊する部屋に入ると少し落ち着いた。
22:00
夫がタッパーに入れて持参したホッケ(またホッケ!)や惣菜を家族みんなで一膳の箸でつつく。
夫は6年前の一人目の出産時に長丁場で途中お腹が空いたことを思い出し、とにかく食べ物の準備!と、食べきれなかった夜ご飯を全てタッパーに詰めてきていた。
言われればそうだけど、私は前回産むので精一杯だった。
立場違えば記憶も違う。しかし今回はファインプレーだった。
あの時間は3人家族だった時の最後の大切な思い出である。
23:00 弱い陣痛が始まる。
破水してから陣痛が進まないと助産院では産めないかも…など頭をよぎってたから安心と不安の両方があった。でも大丈夫、お任せでいこう。
コロナとともにあった妊娠期間だったが、私はいつもお任せだった。
純粋で穏やかで居続けることが私のためにも胎児のためにも大切だった。
そこからお産はゆっくりと進んだ。
弱い陣痛が3分〜7分感覚でずっと続く。痛くない子宮の収縮が弱い波のように続く。
陣痛の間ずっと「吸う息で白い光が体の中を通って骨盤を押し広げて、吐く息で胎児が骨盤底に降りていく」という姿を観ていた。
そこに任せていた。途中うとうとしながら一晩中そうしてた。
そうやって感じていると、陣痛と呼吸で体の中にスペースを作ることができて陣痛が気持ちよかった。
痛いという感覚もあるんだけど、同時に快感だった。
一人目の時にはなかった感覚。
快・不快を超えたところの境地ってやっぱりあるんだなあなんて思いながら過ごした。
11/191(木)7:30
8時に診察しようと話していたが、陣痛が強くなってきてこれ以上強くなると移動できなくなるかもなあと思い、少し早めに内診してもらう。
「いいですね。5〜6cmくらい開いてる。赤ちゃんの頭下がってるしこれはお産になりそうよ。良かったわ」と徳本さん。
おぉ、5cmも開いてたのかと安心と同時に、うわーアレがくるのかと緊張も少し。
なんせ一人目は自分の中にある野生との出会いだったのだ。こんな体勢取るんだ!とか自分からこんな獣みたいな声出るんだ!とか。自然に委ねれば、お産しやすい姿勢もやり方も自分は知っている、ということを身を以て体験したのだ。命とか自然というものへの信頼と尊敬はそこで完全で確実なものとなった。そのアレである。自分であって自分じゃない。あの確変した自分にまたなる瞬間が来るのかー、なんて思う。今はまだ冷静だけれども、知ってるからこそ”アレ”、つまり確変した意識状態に向かうことへの心構えをしてしまう。
どうやらお産になりそうとのことで娘を起こし、お産の部屋に全員集合。
六畳間の和室、薄いカーテンがかかって部屋は暗くも明るくもない。
まんなかに布団が敷かれ私は横たわっている。
助産師徳本さんと夫と娘。
起きてきた娘はマイペースにアオイトリさんのパンを食べている。
さぁ、準備は整った。出ておいで。(続く…)
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